クリエイティブに生きるための第一歩「自分の心に嘘をつかない」

人は意識的にせよ、無意識的にせよ、何かしら嘘をついて生きています。

先日、YouTube動画で、とあるおねえの方が、むかしはゲイだと隠していたので、ばれないように日常的に嘘をつくことが多く、つらかったといっていました。クラスメイトと好みのタイプの芸能人の話になったときには、てきとうな女性タレントの名前をいったり、好きなミュージシャンは女性ばかりだったのに、カモフラージュで男性ミュージシャンをあげたり。女性のミュージシャンが好きだとおねえっぽいのかはよくわかりませんでしたが、思春期の男子の会話は女の子の話が多くて、ゲイだと隠すのは大変だったそうです。

それと並列に語ってよいのかはわかりませんが、オタクもある種、似たようなところはあるよなあ、とふと思ったのです。たとえば、アニメソングが好きだというとオタバレしてしまうから、知らないフリをしたり、本当はアニメキャラのグッズを使いたいけれど、やめておいたり。

最近はオリコン上位の曲にアニメやゲームの歌が多いし、世の中の風潮として、アニメ、マンガ好きのオタクも、むかしほど白い目で見られなくなったような気がしますが、それでも、「オタクが一般人に擬態している」という表現や事例もよく見かけるので、隠したくなる理由もまだいろいろあるんだろうなと思ったりします。

オタクでなくても、たとえばスクールカーストの上位に入りたいとか、おしゃれでセンスがいいと思われたいとか、あるいは目立っていじめられたくないとか、いろいろな理由から、洋服や、音楽、趣味、言動など、人に合わせるようなことは、ふつうにあることですよね。

オタクが一般人のふりをするのも、こどもが親の前でいい子のふりをするのも、ある意味、自分をいつわってまわりの人からよく思われよう、受け入れられようとする行為だといえます。人からよく思われたい、というのはおそらく多くの人が思うことでしょう。

けれど、その思いがいき過ぎると、自分をいつわるのみならず、いつわっているという自覚すらできなくなることがあります。むかつく客にもニコニコするくらいは、みんな仕事だったら我慢してやると思いますが、「ちくしょう」という思いを押し殺して、ずっと笑顔でいるのは大きなストレスなので、我慢している自分を無視してなかったことにしようとする、みたいなことです。

くだんのYouTuberは「(本当はビヨンセが好きだけど、おねえだと思われたくないから)マイケル・ジャクソンが好きだ」といっていて、そんなふうに嘘をつくのがつらかったそうです。そういうとき、そうしたつらさに向き合うより、さらに自分をいつわって「本心から自分はマイケルが好きなのだ」と思いこんでしまうとか。親が期待する職業に自分もつきたいと思いこんだり、仲良しグループからはぶられたくないから、仲間うちで流行っているものを自分も好きだと思いこんだりというようなことを無意識にしてしまうのです。

そんな風に、自分の本心や価値観を、見ないようにしたり、ねじ曲げたり、抑圧して、人に受け入れられるであろう(と自分が想像する)価値基準に合わせていくようなことばかりして生きていると、自分は何がしたいのか、何が好きなのか、だんだんわからなくなっていきます。

世の中の価値観や常識は、ちゃんとあるようでいて、ああだともこうだともいえる、曖昧なものです。結局、あまたある世の価値観のうちどれかを選ぶのか決めなければなりませんが、そのためにも、やはり自分の価値基準が必要になってしまいます。ばくぜんと人がいいというものを選ぼうとしても、世の中を知れば知るほど多様な価値が見えてしまって選べなくなります。

昨今「好きなことをしよう」とか「夢を叶えよう」などとよくいわれますが、何が好きなのか、何が自分の夢なのかよくわからないという人も多いようです。かりに「これが自分の夢だ!」と、かかげてみても、実はたんに世の中的によしとされていることを、自分の夢だと勘違いしていただけ、なんていうこともあるのです。

そういう場合の夢はだいたい叶わないことのほうが多いようですが、あるいは、運良く叶った場合でも、自分を詐欺師のように感じてしまい、罪悪感に苦しむというインポスター症候群のような精神疾患を抱えることになる人もいます。

結局、自分が何が好きで何が嫌いかといったようなことは、さほど重要視されていないようでいて、おそらくふつうに考えられているよりも、もっとずっと重要なのです。元来、好き嫌いに良いも悪いもないのだと知り、心の健康のためにも、自分に嘘をつくのはやめていくことです。

もちろん、生きていれば、嫌なことは一切やらなくていい、というわけにはいかないでしょう。「嫌だ」という思いを表にだすことすら許されない場面もあると思います。

それでも、「嫌だ」と思う自分を、すくなくとも自分の心の中でだけはみとめましょう。もし、考えようによっては「嫌だ」と思わずにすむということなら、その考えを採用してもよいと思います。けれども、それは「嫌だ」と思う自分を押し殺すことであってはなりません。

同じように、自分が「好きだ」と思うものを、他の人の顔色を見て、嫌いだと思いこもうとしなくてもいいのです。その「好き」をさげすむ人にあえて「好きだ」と教えなくてもいいけれど、自分が「好きなものは好き」と、好きな気持ちを大事にしてください。

自分が好きだなあ、いいなあ、と思うものをバカにする人がいたとしても、その人と一緒になって自分をバカにしないでください。その人が親でも先生でも、どこかの偉い人だとしても関係ありません。

多数決では自分の好きなものが採用されないかもしれません。だからといって自分が好きだと思うことをやめなくてもいいのです。あなたの心はあなたのものです。自分以外の他の人に決めてもらわなくてもいいのです。

何が好きで、何が嫌いか、人と同じでもいいし、違ってもいいのです。とりわけ自分の好きなものは大事にしましょう。それがもし人から「イイネ」といわれないことなら、別にだれにいわなくてもいい、けれども好きでいることは自分にゆるしましょう。認めましょう。

「クリエイティブであること」、それは新しい価値の創造です。人と同じ価値基準に合わせようとするのは、すでにあるものをなぞっているだけであって、クリエイティブとはもっとも遠い行為です。自分の中に、人と違う部分があるなら、それはむしろギフトだと思って大切にしたほうがいいのです。クリエイティブに生きるための第一歩はそこにあります。

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